たかの友梨が支援する「鐘の鳴る丘」とは?知られざる慈善活動の全貌

「エステティック」という言葉がまだ日本に馴染みのなかった時代から、その道を切り拓き、美容業界の第一人者として走り続けてきた、たかの友梨氏。
多くの人が彼女に「美のカリスマ」という華やかなイメージを抱くでしょう。

しかし、その輝かしい功績の裏で、30年以上にわたり、ある社会福祉施設へ深い愛情と支援を注ぎ続けていることは、あまり知られていません。

この記事では、たかの友梨氏が後援会長として支える社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」、通称「鐘の鳴る丘」との関わりを軸に、彼女の知られざる慈善活動の全貌に迫ります。
その活動の根底には、自身の壮絶な経験から生まれた、社会や子供たちへの深い「愛といたわり」の精神がありました。

たかの友梨が支援を続ける「鐘の鳴る丘」とは?

たかの友梨氏の慈善活動を語る上で欠かせない存在が、群馬県前橋市にある社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」です。
一体どのような施設なのでしょうか。

70年以上の歴史を持つ児童養護施設

「鐘の鳴る丘」の歴史は、戦後間もない1947年(昭和22年)にまで遡ります。
創設者の品川博氏が、当時人気を博したNHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」に感銘を受け、親を亡くした子供たちのために設立したのが始まりです。

当初はわずか5人の孤児と8畳2間の部屋からスタートしましたが、ドラマの作者である菊田一夫氏らの支援も受け、1948年(昭和23年)に児童養護施設として正式に認可されました。
以来、70年以上にわたり、さまざまな事情で家族と暮らせない子供たちを保護し、養育する役割を担ってきました。

児童養護施設とは
保護者のない児童や、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談や自立のための援助を行うことを目的とする施設です。(児童福祉法第41条)

厚生労働省の調査によると、現代の日本において社会的養護を必要とする子供は約4万6千人おり、その約6割が児童養護施設で生活しています。
入所理由の半数以上が「虐待」であり、子供たちが心に深い傷を負っているケースも少なくありません。
「鐘の鳴る丘」は、こうした子供たちにとって、心身の安全が守られる「家」であり、未来への希望を育むための大切な場所なのです。

創設の理念と子供たちのための多様なケア

「鐘の鳴る丘」は、単に子供たちの衣食住を保障するだけの場所ではありません。
乳児を除く、保護者がいない、あるいは虐待を受けているなど、さまざまな環境に置かれた子供たちを受け入れ、その自立を支援することを目的としています。

子供たちが健やかに成長できるよう、一人ひとりの心に寄り添ったケアを重視しています。
近年では、虐待だけでなく、発達に障がいを持つ子供の入所割合も増えており、より専門的なケアの必要性が高まっています。
こうした社会の変化に対応しながら、子供たちが安心して生活できる環境づくりに努めています。

高齢者福祉まで担う総合的な社会福祉法人へ

「鐘の鳴る丘」を運営する社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」は、児童福祉だけに留まらず、その活動の幅を広げています。

1972年(昭和47年)には特別養護老人ホーム「鐘の鳴る丘 愛誠園」を開設。
さらにデイサービスセンターや居宅介護支援事業所なども運営し、地域の高齢者福祉にも貢献する総合的な社会福祉法人へと発展しています。

2022年には創立75周年を迎え、記念事業として「こども家庭相談センター」と「鐘の鳴る丘歴史記念館」を併設した「RAINBOW GARDEN(レインボーガーデン)」を設立しました。
この設立に際しても、たかの友梨氏は多額の寄付を行っています。

30年以上にわたる支援の原点:たかの友梨と「鐘の鳴る丘」の出会い

たかの友梨氏が「鐘の鳴る丘」の支援を始めたのは1989年のこと。 それ以来、30年以上にわたってその関係は続いています。
なぜ彼女は、これほどまでに長きにわたり、一つの施設を支援し続けるのでしょうか。
その背景には、彼女自身の生い立ちが深く関わっていました。

自身の複雑な生い立ちが活動の原動力に

1948年、新潟県に生まれたたかの友梨氏は、3歳で養子に出されるという複雑な幼少期を過ごしました。
その後も大人の事情に翻弄され、小学校を6回も転校するなど、安らげる家庭を知らずに育ったといいます。

人に頼らず生きていくために「手に職をつける」ことを決意し、理容師の道へ。
過酷な労働とストレスで肌荒れに悩んだ経験が、彼女を美容の世界、そしてエステティックへと導きました。

自身の辛い経験があったからこそ、同じように家庭の温もりを知らない子供たちを支えたいという強い想いが芽生えたのです。
彼女の社会貢献活動の根底には、株式会社不二ビューティ(たかの友梨ビューティクリニック)の企業理念でもある「愛といたわり」の精神が流れています。

1995年、後援会長への就任

「鐘の鳴る丘」との出会いを経て、たかの友梨氏の支援活動は本格化します。
1995年には、女優の木暮実千代氏の後を引き継ぎ、同施設の後援会長に就任しました。

後援会長として、施設の運営を物心両面から支えるだけでなく、自らが先頭に立ち、子供たちとの交流を深めていきます。
その活動は、単なる企業の社会貢献という枠を超え、彼女自身のライフワークとなっていきました。

「鐘の鳴る丘は私の人生の目標」に込めた想い

たかの友梨氏は、過去のインタビューで「鐘の鳴る丘は私の人生の目標」と語っています。
この言葉には、彼女の並々ならぬ決意が込められています。

自分の心を支えてくれた施設と、そこで暮らす子供たちを今度は自分が支える。
その想いが、美容家として、そして一人の人間として努力し続ける大きな理由の一つとなっているのです。
彼女にとって「鐘の鳴る丘」は、自身の原点を見つめ直し、社会への恩返しを実践する象徴的な場所であると言えるでしょう。

寄付だけではない、心で寄り添う具体的な支援活動

たかの友梨氏の「鐘の鳴る丘」への支援は、多額の寄付に留まりません。
子供たちの心に寄り添い、その健やかな成長と自立を願う、多岐にわたる活動を継続的に行っています。

総額数億円以上にも上る施設への経済的支援

長年にわたる経済的支援は、施設の安定的な運営と発展に大きく貢献してきました。

  • 屋内体育館施設「レインボーフィールド」の寄贈(2009年): 子供たちだけでなく、併設されているデイサービスセンターのお年寄りも利用できる多目的施設を寄贈。
  • 創立75周年記念事業への寄付(2022年): 「こども家庭相談センター」などを併設した「RAINBOW GARDEN」の設立に際し、多額の寄付を行いました。

これらの大規模な支援に加え、日々の運営を支えるための寄付も継続的に行われており、その総額は数億円以上に上ると言われています。

子供たちの笑顔を育むイベントの開催

たかの友梨氏が大切にしているのは、子供たちとの直接的なふれあいです。
社員とともに様々なイベントを企画・開催し、子供たちに楽しい思い出をプレゼントしています。

こうした活動は、企業理念である「愛といたわり」が現場で働く社員一人ひとりに浸透しているからこそ実現できるものです。
実際に、たかの友梨で働く社員がどのような想いで社会貢献やお客様と向き合っているかを知ることは、企業の姿勢をより深く理解する一助となるでしょう。

イベント名内容
夏のディズニーランド招待毎年夏にバスを貸し切り、子供たちを東京ディズニーランドへ招待。
クリスマス会社員がサンタクロースやトナカイに扮し、プレゼントやケーキを届ける恒例行事。
ハロウィンパーティ食事やグッズ、プレゼントを用意し、子供たちのためのホームパーティを企画。
チャリティーバザー「子供の日の集い」として開催されるバザーに「たかの友梨コーナー」を設け、全国のサロンから集めた品々を出品。

近年は、感染症対策のため対面でのイベントが難しい時期もありましたが、その代わりにホームパーティを企画するなど、形を変えながらも子供たちを想う活動は途切れることなく続いています。

社会への巣立ちを後押しする自立支援

児童養護施設の大きな課題の一つに、卒園後の自立があります。
原則18歳で施設を出なければならない子供たちは、頼れる親族がいない場合も多く、経済的・精神的に困難な状況に陥りやすいのが現状です。

たかの友梨氏は、子供たちが社会へスムーズに巣立っていけるよう、自立支援にも力を入れています。
具体的な内容は公表されていませんが、彼女の支援は、子供たちが社会の一員として力強く生きていくための「見えないセーフティネット」としての役割も担っていると考えられます。

「鐘の鳴る丘」を超えて広がる社会貢献活動

たかの友梨氏の慈善活動は、「鐘の鳴る丘」への支援に留まりません。
国内外で発生した災害への支援や、未来を担う子供たちのための教育支援など、その活動は多岐にわたります。

国内外の災害被災地への迅速な支援

たかの友梨氏の社会貢献活動が本格化したのは、2007年の新潟県中越沖地震がきっかけでした。
震災直後から、日本赤十字社を通じて義援金を寄付したほか、「たかの友梨エステボランティア隊」を結成し、被災地で無償のエステティックサービスを提供するなど、迅速な支援活動を行いました。

その後も、東日本大震災 や西日本豪雨災害など、大規模な災害が発生するたびに多額の寄付を行っています。
2018年の西日本豪雨災害の際には、個人資産からの寄付が認められ、2019年に紺綬褒章を受章しました。

未来を担う子供たちの教育支援

「鐘の鳴る丘」の子供たちだけでなく、世界中の子供たちが夢や希望を持てるように、教育分野への支援も積極的に行っています。
特に、内戦の影響で校舎の倒壊や教師不足が深刻なカンボジアの現状を知り、2008年以降、公益財団法人「School Aid Japan」を通じて小学校の校舎を複数寄贈しています。

これからも社会に役立つ活動に積極的に取り組んでいきたいと考えています。弊社社員一人一人の思いやりの心を大切に、身の回りの小さなことからでも始められるボランティア活動や地域に密着した活動など、さまざまな社会貢献活動に参加してまいります。
(出典: たかの友梨ビューティクリニック公式サイト)

企業の社会的責任(CSR)としての哲学

たかの友梨氏の一連の活動は、単なる個人の慈善活動ではなく、企業トップとしての社会的責任(CSR)を果たすという強い意志に基づいています。
新型コロナウイルス感染症が拡大した際には医療機関へマスクを寄贈したり、乳がんの早期発見を啓発するピンクリボン活動を開始したり と、社会が直面する課題に真摯に向き合う姿勢を貫いています。

エステティック事業を通じて「美」と「癒し」を提供するだけでなく、社会福祉や教育、災害支援といった分野でも「愛といたわり」の精神を実践すること。
それが、たかの友梨氏が考える企業の在り方なのです。

まとめ:たかの友梨の慈善活動が社会に問いかけるもの

エステ業界のパイオニアとして、常に時代の最先端を走り続けてきたたかの友梨氏。
その華やかなキャリアの陰で、彼女は自らの原点と向き合いながら、30年以上にわたって地道な社会貢献活動を続けてきました。

特に、児童養護施設「鐘の鳴る丘」への支援は、彼女の人生そのものを映し出す活動と言えるでしょう。
自身の複雑な生い立ちから生まれた「子供たちを支えたい」という純粋な想いは、多額の寄付や施設の寄贈、そして心温まる交流となって子供たちの未来を照らしています。

彼女の活動は、一人の成功した実業家による慈善活動というだけでなく、社会全体で子供たちを育むことの重要性や、企業が果たすべき社会的責任の在り方を、私たちに強く問いかけています。
「美」の追求の先に見据える、より良い社会への貢献。たかの友梨氏のもう一つの顔は、多くの人々にとって、社会貢献について考える一つのきっかけとなるのではないでしょうか。

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